ENTRIES
AUTHOR
CATEGORIES
ARCHIVES

うつくしいものがすき!

スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - | |
POTO25周年記念

オペラ座の怪人25周年記念公演inロンドン、スカラ座にて観てきました!

せっかくなので思ったことをメモしておこうかな、と。作品は大好きで四季版や映画や向こうの映像もよく見るのだけど、本場のものは生で観たことが無いし知識も無いので素人的な感想になります、変なことを言っていても許してください。
まずね、ロイヤルアルバートホールが凄いのね!恥ずかしながらどんなホールか知らなかったのだけれど、円形に近いような感じ、そういえば確かに外観まんまるだった気がする。シアターオーブの内観はあんな感じになるのかなあ、と想像しながら観ていたりもしました。あの始まる前のざわざわ、わくわく感が最高!

さて、ものすっごく楽しみにしていたLNDペアのオペラ座!特にラミンはアンジョやトニーが大好きで(と言っても生で観たことはないけれど)、もちろんLNDのファントムもセクシーで素敵だなあと思っていたので、本当に観たかった。そうしたら、もう…いや本当に大したこと言えないので、素敵だった、の一言に尽きるのだけど。
若いからなのか、何と言うか、フィナーレで出てきたような歴代のファントム達とはまた違う魅力があって。切なげな声のセクシーさもそうなんだけど、何だろう、危険な香りがするの!映像だからこそのクローズアップで見える、視線のひとつひとつや挙動全てが美しくて妖しくて、どきどきしっぱなしでした。
特に手!MOTNでクリスティーヌに這わせる手、PONRで絡める手、本当にセクシーなんだもの。ああこのひとのファントムは音楽の先生でなく、まさに「男性」なのだなあと思わされた。クリスに対する在り方もそうだし、観客側からしても。
そして終盤の切ない表情と瞳。Christine,why?からは涙無しでは見られない…生の舞台ではあそこまで寄って観ることはできないからかもしれないけれど、ぐいぐい胸に来ます。声がね、とっても切ないから、余計に。語彙が少なくて申し訳ないけど、とにかく最初から最後まで素晴らしかったの、ラミンファントム。そういえばメイクが歴代ファントムに比べるととても美しく細かく作りこまれていたのだけど、映像用だからなのかしら?

そしてシエラも、素晴らしいとしか言いようがなかった…歌も演技も、完全なクリスティーヌがそこに存在していた気がします。ハンニバルのダンスまで綺麗にこなしちゃうからこれまた驚き。可愛いところは凄く可愛いし、でもPONRの誘う指先や大胆な振る舞い、瞳はアダルトでセクシーで、クリスティーヌというか女性の二面性ってまさにこれだな、と。
ラウルにも縋るし恋はしているけれど、心はファントムのもの、なクリスを観たのはこれが初めてだったから、ああオペラ座の怪人ってこういう作品だったのか、って認識を新たにしました。最後、ファントムの手に指輪を返す縋らんばかりの手付き、AIAOYを歌う表情、圧倒されてしまう…最後まで、どうしようもなくファントムに惹かれているような。それでこそLNDに繋がるというもの!ああ素敵だった。(この辺り、最後につらつらと考察してみました)

ヘイドリーのラウルは、何と言うか、影が薄かったです。ほぼ何も印象に残っていない…彼のグランテールは好きだし、声もわりと好みなのだけど。どうしてもラミンとシエラに圧倒されてしまうのかなあ(私自身その二人しか目に入っていなかったのも理由だと思う)、生で観たらまた違うのかもしれない。きらっと貴公子然とした微笑みはよく似合ってました。
そして!私、メイン三人以外は誰が出ているのか知らずに行ったので、男性ダンサーがセルゲイ・ポルーニンでびっくり。去年のロイヤルバレエの来日公演が、確か彼がプリンシパルに昇格した直後か何かで、若い!と注目して観ていたのでよく憶えてます。非の打ちどころがないというのはダンサーとして当たり前なのかもしれないのだけど、本当に一つ一つのパが美しかった。優美で高貴なのだよね、奴隷頭と羊飼いに対する形容としてはふさわしくない気もするけれども。

さて忘れてはならないのがフィナーレ。
ALWに「私の音楽の天使」とまで言わしめるサラブライトマンもさることながら、痺れたのは歴代ファントムの登場です。あのね、私JOJのファントムが大好きなの(バルジャンも)!厚みのある圧倒的な声から、オーラから、緩急の素晴らしい歌い方やら、生でなくたってあれほどの迫力なのに、生で観たらどうなることやら…はう…(心がロンドンに飛んで行ってます)
だからああやって四人で出てこられて、歌われてしまうと、完全にフィナーレがメイン状態。アンソニー、JOJ、コルム、ピーター、皆さん素敵だったけど、やっぱりJOJ!彼が歌い出すと空気が変わって、soar---の後なんて、映像の中のホールもスカラ座も、水を打ったように静まり返る。本当に素敵でした、あのフィナーレだけに2000円払ったって全然惜しくない。
少し気になったのが、ピーター・ジョーバックさんは次期ファントムなのよね?声にもルックスにも重みが感じられないのだけど…どんなファントムになるのかしら。あの一瞬歌を聴いた限りでは、むしろラウルが似合いそうな。クリスが恋するファントム、という男性としての魅力の部分をより濃く強調していく、ということなのかな?

…なんだか本当に大したこと書けなかった。とりあえずまた観たいので、六本木での上演も決定したことだしできる限り足を運ぼうと思います。DVDが待ち切れない!

---以下、纏まらないPOTO考察らしきもの---
POTO(とLND)で大切なのって、やっぱりファントムとクリスティーヌ、そしてラウルの関係だと思うのだけれど、私、魅力的なラウルというものに出会ったことが無くて。何と言うか、それはこの記念公演でも同じくなんだけど、もはやヘイドリーがどうこうという話ではなく、四季版や映画、どの演出においてもラウルの影が薄いような気がするのです。それは役者の問題かもしれないし演出の問題かもしれないけど、ラウルがもっと魅力的(キャラクターが濃い、と言い換えてもいいかも)な人物だったら、舞台の見え方もまた変わるのじゃないかなって思う。三人がそれぞれ際立っていればこその見え方、というか。
今の影の薄さだと、ファントムに怯えているときに傍で支えてくれたラウルにクリスが恋するのはまあ理解できるとして、最後、クリスが心をファントムに捧げてしまっていたとしてもそれは仕方ないよな、って思うの。ラウルのキャラクターがもっと立っていれば、どちらも十分に魅力的なラウルとファントムの間で揺れる女心がもっと鮮明に見えてくるのじゃないかな。ラミンのラウルが聴いた限りかなり濃いので、それで本編全部通して観てみたいと叶わぬ夢を抱いています。

さて今書いたのは全部、今回の公演(というよりロンドン公演版、かな)で最後、ファントムとクリスティーヌは愛し合っている、と私が捉えているからなんだけど、ファントムは愛に破れた、という捉え方もあるのですよね(そのあとLNDに繋がるかどうかはここでは脇に置いておくとして)。
クリスがファントムに怯え苦しんでいるのは確かで、四季版や映画なんて指輪をさらりと返してラウルと二人でAIAOYを歌いながら去ってしまうし、四季の訳は「我が愛は終わりぬ」だから、その演出では確かにファントムは愛に破れたのかもしれない。でも、原詞の「You alone can make my song take flight. It's over now, the music of the night.」は、一概に愛が終わったと捉えなくてもいいのではないかとも思うのです。
「今見せてあげる私の心」も、ラウルを助ける為ならばあなたとのキスもいとわない、という意味にも取れるけれど、元々は「God give me courage to show you you are not alone.」なので、シエラのあの圧巻の演技も合わせると、何と言うか、ファントムの穢れを忌み憎しみながら、それでも心を惹かれて愛してしまっているのではないだろうか、とか、考えたくなってしまうわけ。
もしそうだとしたらなぜクリスはファントムを愛するのか…もう恋とかそういうものを越えた、感性の触れ合い?PONRで見せる恍惚の表情、あの瞬間だけは完全にクリスティーヌはファントムのもの、ファントムはクリスティーヌのもの。あの触れ合いでクリスがエクスタシーを感じているのは間違いないわけで、理性の部分でのラウルへの愛やファントムへの憎しみ怯えを超越して、どうしようもなく惹かれる、というのが一番ぴったりくる。
そして物語はLNDへ…というわけですね。長々と書いてきたけど良く自分でも意味がわからなくなってきて、何が言いたいかというと本場でPOTOとLND観たい。じたばた。

---こそっと追記---
映画版のPOTO観ながらまた少し反芻したことを書き留めておこうかと。
まず、ラミンがMOTNでクリスの目を見られないのやお姫様抱っこで戸惑うのを目にして、単に可愛いと思いながらそれと同時に、はっとしたことを思い出したの。何だろう、虐げられてきた者の卑屈さ、ひね、哀しさみたいなものも感じて、苦しくなる。
私はファントムを見るといつも「太郎が恋をする頃までには」という本のことを思います。部落差別を題材としたノンフィクションで、勿論POTOとは何の関係も無いし、私が勝手に重ねて読んでしまうだけなのだけど。生まれてからずっと虐げられ続けた人間は、やっぱりどこかが捻れて歪んでしまう、いびつな愛しか育めなくなる、そんなようなことをね、考える。ちなみに結論全然出てないのでこの話題はこのまま放置。
さてそれとは全く関係なく、上にも書いてある、なぜクリスがファントムを愛するのかという話だけど。クリスのファントムに対する憧れが憐憫に変わるのは彼の姿を目にした時、つまりI rememberだとして、じゃあ憐憫が愛に変わるのはどこなのか?もちろん最終的にはファントムに対してhate、憎しみも抱いているわけだから一概に愛に変わったとは当然言えないのだけども、やっぱり一種の転機、ターニングポイントはPONRなのじゃないか、と。あの曲でモチーフとして使われているのはリンゴ、リンゴは性や快楽のメタファーなわけで、PONRはやはり心のセックスというか、そういうことなのではないかと思うわけです(だがしかし映画版ではリンゴは用いられていなかった。PONRやラストのエミークリスの表情といい、映画版のファントムは完全に愛に敗れたと想像)
あと、ついでに。訳語が気になるところを挙げだしたらキリがないんですが上に挙げたところ以外で今回一番引っかかったのが「You will curse the day you did not do all that the phantom asked of you !」でした(これほどの辱めを決して許しはしない)。何か違わないか、それ。

| ミュージカル | 16:50 | comments(0) | trackbacks(0) | |

| 1/1P |

CALENDER
<< October 2011 >>
SunMonTueWedThuFriSat
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     

LOVERS
SPONSORED
  無料カウンター